第7回 島から島へ、そして・・・(2010.03.30)
連載を初めてからすでに2年経とうとしている。映画をつくりたいと初めて心に想いが沸き上がったのが2003年の12月。翌年2004年に茂木綾子と出会い、2006年に芹沢高志も正式合流し、映画は2008年春に完成。同年秋に東京国際映画祭で上映された。その後、西表島、石垣島、那覇、東京、京都、横浜など各地で上映され、つい先月は佐賀と福岡で上映された。ネット上でしか販売していないDVDやカタログも、おかげさまで継続的にご購入頂いている。各地で様々な方の意見を伺い、やはり撮ってよかったな、と改めて実感している。映画を撮った前も後も、石垣昭子さんと金星さんは変わらず西表で自然から大切な命を頂戴しながらの作品づくりや、村の人たちとの絆と島の伝統文化を大切にした暮らしを続けている。先月まで、奄美で進む芭蕉プロジェクトがらみで「芭蕉交布」の個展をされていて、相変わらず島外での活動も活発。私はチラシやポスター、冊子づくりのお手伝いをした。


なにもわからずに、無謀にも始めた映画づくりだが、得たものは大きく、意義のある仕事に携われた事をとてもありがたく振り返る昨今。つい先日、共同プロデューサーの芹沢高志と一緒に高速バスの中で1時間程ゆっくり話す機会があった。いろんな生き方や考え方があるけれど、あの映画はとてもハッピーなチームで進める事ができた、と。そういう仕事はそうそうない。本当に大切な物はなにか?ということを仲間と共有出来るというのはなにより幸せなこと。
映画完成間近に始めた連載も、全てを書ききってはいないが、そろそろ次のステップに移り始めた私たちのこれからを少しご紹介して、この連載は今日で最後にしようと思う。映画づくりをしていた記憶をとどめ、無謀でも信じ続ければなにかを成す事ができると言う事、肩の力を抜いて、ゆったりとそこに向かって歩いて行けばいいんじゃないかということが伝えたかったんだと思う。やりたいことをやろう。
茂木は今、日本に住んでいる。長年住んだヨーロッパを離れ、11月から兵庫県淡路島の廃校に家族と共に住み、活動を開始している。私は、今回は本業の建築家としてその改修工事に携わり、職員室をカフェに、校長室をキッチンに作り替えている。この一期工事はほぼ終わり、3月20日に『ノマド村』の『カフェ・ノマド』がオープンする。詳しくは、ブログと、HPで。
淡路島の人々はみなとても温かく親切。行政マンもあり得ない程前向きで理解があり協力的。本当にたくさんの方の手助けがあり、廃校がどんどん新しいみんなの居場所に変わって行く様は驚くばかり。建築家のできる事なんてわずかながら、また一緒にプロジェクトに関われることをとても嬉しく思う。

ノマドカフェ
芹沢は、昨年行われた別府の『混浴温泉世界』というアートフェスティバルでディレクターを務めた後も、別府での活動を続けている。芹沢率いる新宿左門町にあるP3の支店とでもいうのか、P3 Labなるものを立ち上げて腰を据えた活動を続けるらしい。先日『ノマド村』では、そんな芹沢の小さな講演会が行われ、「地域で仕掛ける、演出する」といった内容の話しが展開された。


 湯煙立つ別府の町並み


ノマド村でも懇親会
淡路に茂木達が拠点を据えることになったのも、芹沢さんが親しく付き合っていた「淡路アートセンター」というNPOの山口久仁子さん(素晴らしい女性で二児の母、茂木と私と同じ歳!)を紹介してくれたのがきっかけ。映画でも私と茂木を巡り会わせた仕掛人・芹沢。今度は茂木と、山口さん初め淡路の人々との間でどんな化学反応が起こり、なにが生まれて行くのか・・・。とても楽しみだ。
茂木のノマドな生活は雑誌『コヨーテ』で連載され始めているので、ぜひ手に取って欲しい。芹沢の別府での活動も、あちこちから耳に入る事だろう。
そして最後に私。
来月から、香川県の小豆島(しょうどしま)に移住することになった。茂木といい、芹沢といい、私といい、なんだか大きな移動が伴う、映画・その後。
・・・と、実はこの後にそのいきさつや期待感を書いた原稿があったのだが、様々な事情で急遽中止・・・。私はしばし唖然とした日々を過ごし、後始末をし、ようやくちょっと気持ちも落ち着いて来た・・・。自然の中で過ごす日々を夢見て新たな土地でのスタートを楽しみにしていただけに、ぽっかり身体の中心に穴が空いたような数日だった。
しかし、人生前に進むしかない。
移住を断念した一番の理由は家族のこと。旦那が仕事の都合上どうしても島では半分母子家庭になることに対する娘や私の不安、長男家族、もう一つの視点では我が侭で手がかかっていた末っ子家族、が遠くの島へ引っ越してしまうという実家の親の心配、不安、寂しさ。家族同然に過ごして来たfooにいる皆や、子供達が姉妹同様に育った猫の行く末に対する不安。家族、という括りに対する自分の認識の狭さとか低さとか考えの甘さとか、あれこれ考えさせられた。
人は1人では生きられず、家族もまた核家族だけでは生きて行けない。ある単位があるとしたら、それが単一で成立出来る事はとても少ないんだな、と思う。そして、自分が意識的につくった、だが実はかなり無意識な部分も多かった、このfooという共同の場について、改めて考えてみたいと思った。
移住の事もあったが、最近立て続けに取材があり、ここでの暮らし、ということが、何らか家族の未来へのヒントになりうるのではないか、ということを再認識したからだ。
今までたくさんの取材は受けて来たものの、fooという場所について積極的に語ってこなかったけれど、10年目を迎えようとしている今、なんだか肩の力を抜いて少しfooの暮らしぶりと心地よさを語れる気がする。
と、言う事で、本当は「瀬戸内 島日記」になるはずだった新連載。「fooー居場所の家族」という連載に急遽変更。今後とも、どうぞよろしくお願いします。
P.S.
以下は行くはずだった小豆島の風景。素晴らしい自然、文化、産業の中に気持ちのよい穏やかな島人が暮らす。
でも自分はしばし、都会という人間がつくり出した大自然のまっただ中で過ごしてみようと思う。鷹尾山に上り、白金の自然教育園や新宿御苑で走り回り、東京湾からカヤックで摩天楼を臨んだりしながら。すんごいジャングルでのサバイバルですよ。

小豆島のビーチ


ウキウキ歩く娘達


焼杉の外壁が美しい町並み

東京タワーのお膝元、東麻布に建つfoo

