case study14
「LOVE & PEACE HOME TOWNは地球!-発信するこどもたち-」
浦田千恵 沙緒音

第22回 伝えたい!―被爆者の思い「この子たちの夏」-

この活動が始まった2003年から毎年参加してきた NO NUKES GIG
3回目の今年は、被爆者の手記を朗読する出演者としての参加になりました。

『「この子たちの夏」―1945・ヒロシマ ナガサキ』は、母と子ども、この2つの立場で書かれた手記を元にした構成台本です。私達はこの中から3つのパートを抜粋して上演することにしました。

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平和が一番です!!原爆での事、何度もくり返さないようにしたいです。―あいさ


私は戦争はやらないで!ということをつたえたいです。―ゆうか


私が一番伝えたいことは、広島と長崎でおこったげんばくでくるしんだ人たちの詩です。いっしょうけんめいがんばっていきたいです。―あさこ


学校のイベントの関係で、全員でのリハーサルは位置合わせ程度しかできませんでしたが、子どもたちに不安な様子はなく、堂々としてるのはなぜ?左は子どもを失った母親の詩などで友情出演してくださった、シンガーのやまがたすみこさん


あたしが朗読をしたいと思ったのが、今年の4月。その頃から“戦争はやめよう”という思いが有りました。けれど、今は違います。“やめよう”を「日本」だけに向けるのを、あたしはダメだと思うんです。ほんとは、その言葉を「世界」向けななければならないんです。朗読を聞いてくれる人が居るだけで、きっとそれは意味が有るとおもいます。この朗読が平和への一歩に成ると嬉しいです。―まき


私が伝えたいコトは、広島、長崎でおこった”げんばく”の事実デス。どんなコトがおこったのか、そしてそれで、どうなってしまったのか。そこのところを 伝えたいデス。何故おこった、そしてそこにいた人達はどうなってしまったのか。どんな被害がでてしまったのか。伝えられたら良いデス。


私が伝えたいことは、本当のことを、読んでいる時かんじてほしいです。げんばくでは、日本人だけでなくて朝鮮人なども亡くなっているので、その気持ちも感じてほしいです。―しおん


私が伝えたい事は、広島長崎でおこった原爆がどれほど悲惨なことか、どれほどの人々が苦しい思いをしながら亡くなっていったか、こんな事を二度と起こしたくない私達の気持ちを伝えたいです。戦争反対!!このままずっと平和をたもち続けてほしいです!!


やまがたすみこさんに一人一人紹介され、「この子たちの夏」をやり遂げた子ども達。戦争を知らなくても、伝えることはできる。子ども達が証明してくれました。
パート1

地人会の公演ではスクリーンに投影されている、「なんぼうにも むごいよ」から始まる子どもを失った母の詩をやまがたすみこさんに読んでいただきました。子どもたちは麦わら帽子をかぶり、すわっています。

八月六日の朝、戦時中ではありますが、小さな子どもたちには無邪気な日常の暮らしがありました。お友達と遊ぶ子、猫に牛乳をやる子、お人形の着物を作る子、おうちで、お庭で、幼稚園で、なにもかもが一瞬にして失われていく前の穏やかな暮らし。子どもたちは一人づつ立ち上がって朗読しました。

そして、運命の八時十五分、ピカッと照明がたかれて暗くなった時、子どもたちは麦わら帽子を足下に置き、一人づつ読みはじめました。焼けただれたお友達の顔、くずれた校舎の下でうめいている声。空も地上も灰色一色にぬりつぶされた世界。重苦しい被爆者の方の体験を余す事なく伝えたい。急がず、淡々と語る子どもたちの姿に会場は静まりかえっていました。


パート2

ここでは、二つの詩を選びました。当時4歳くらいだった女の子が5年生の時に書いた短い詩は、どうしてもこの詩を読みたいというゆうかが、まさにはまり役の朗読をしてくれました。やけどで寝ている妹に食べさせようと、とまとを買いにいっている間に、妹は亡くなっていた、という内容でした。小さな弟のいる5年生のゆうかが「お母ちゃんはないた わたしもないた みんなもないた」と静かに訴えました。

「水!水をください!」で始まる長い詩は、まき、あさこ、あいさ、ゆり、さとこ、しおんで読み分けました。抜粋部分を決める時、この長い詩については、難しすぎるのではという思いもありましたが、子どもたちの方は、ここは絶対やりたいという意見でした。

ひとつの詩を6人で読み継いでいったわけですが、ひとり、ひとりが速さも声の大きさも感情の込め方も、見事に違っていて、それがさらに数えきれない苦しさ、惨さを代弁しているようでした。

「熔けてしまうのです どうか人間の形にもどして それから召しかかえてくださいまし 水、水をください いのちの糸をつなぎとめてください 誰か!」
会場の後ろの方でどきどきしながら見ていた私は、子どもたちが本気で伝えようとしている姿に、心から感動していました。


パート3

最後のパートは、昭和37年白血病のために25歳で亡くなった君子さんの遺稿です。君子さんのお母様の手記を、すみこさんが読むところから始まりました。そして、7人全員で読み継いでいきました。

思いきり大声出して泣いてみたい
苦しんでも なおればまた 別なんだけどなァ
もう一度 よくなってみたい
パンプスが もう一度はけるようになるかしら
つまんない
つまんない
苦しむ
苦しむ
白血病よ 君はどこまでむしばむつもりだ
必ず勝ってみせる
憎い 原爆が憎い
死ぬんなら 早いほうがよい
でも 本当は よくなりたい
足先がもえるよう
もう一度 普通の娘になってみたい
お母ちゃんが病気にかからないようにお願いします
あの服と あのパンプスで
あの青空を仰いでみたい
よくなろう
生きよう
生きぬこう(抜粋)

子どもたちは最後まで、落ち着いていました。途中で席を立つ方もなく、後ろの席にいた私からは、みなさんが熱心に耳を傾けてくださっていたことがとてもよく感じられました。静かな拍手の中、子どもたちはすみこさんに一人ずつ紹介され、ぺこっと頭を下げると少しはにかんだように笑っていました。

「読む」という単純な行為が、「伝えたい」に大きく成長していきました。
ステージを終えた子ども達から私が最初に聞いた言葉は、「もっと 伝えたい!」でした。










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