case study02
「女性として、建築家として、母として」遠藤幹子

第1回 オランダの個人主義から学んだこと
自分のことを「mother」という響きで意識するのはあまり好きではない。わざわざそう言うのは、自分の可能性への挑戦から逃げるための臆病な言い訳として、「私は母だから」という言葉を利用していた自分が嫌になったからだと思う。

私の名前は遠藤幹子。海外ではミキコ・エンドウ。正確に言えば、離婚歴のある母や私の旧姓を含めたら、ミキコ・ヤマモト・ヤマダ・エンドウ、となる。 このミキコ・ヤマモト・ヤマダ・エンドウはものを作るのが好き、子どもと遊ぶのも好き、大きな建物も、小さな家具も作る。建築家だし、教育者だったこともあるし、母だし、奥さんだし..。でもいずれ子どもは親離れしていくし、仕事の内容も変わっていくだろうし、連れ添う人も変わるかもしれない。名字や職業は長い人生の中で環境に対応しながら変わるものだから、自分を説明する言葉を生涯一つに絞ることに私は固執したくない。結局最後に残るのは自分のファーストネームだけなのだから、どんな境遇に立たされたとしても変わらないミキコ、それが一体なんなのかを、最近すごく知りたいと思っている。

オランダに来て3年目がきた時、何か自分の殻が一つ開けた気がする。この国で出会った人々。年齢や身分の分け隔てなく互いをファーストネームで呼び合う仲間たちとの繋がりを絶対に失いたくないと強く確信したときだった。それまでの私は、自分のことを「東京出身で夫婦で建築をしていて子どもが一人いる遠藤幹子」と呼びながら何かを守っていた気がする。

何故ここでこんなことを書いているのか?
自分自身を「ミキコ」という響きで意識し始めたとき、自分を守りつつ束縛していた社会、国籍、肩書きや名字から自由になった。それは大海原に一人で漕ぎだす瞬間のような、自分の野生をぞくぞくと感じる瞬間だった。そして子どもを産み落とした瞬間に見たあの鮮明な光景、永遠に広がるサバンナに立つ一本の木陰で、産まれたばかりの赤子を胸にひとり静かにたたずむ一匹の雌狼の姿を思い出した。本来孤独に産まれ、子を落とし、生の満足を探して進んでゆく。それが私の血だと確信した。そして飼犬のように従属し守られることに甘んじていた自分を恥じ、本来の自分の姿へ向かい直そうと固く思った。孤独と恐怖と、そして全身の皮膚の鳥肌が立つような絶対的な興奮と快感があった。
子どももそんなもんなんじゃないかと思った。

そう思ったときに、初めて自分は娘を対等な目で見られるようになった。自分はまだまだ伸びて行きたい。死ぬまで未知の世界へ挑戦して行きたい。すると、娘のすべての言動が、美しく解るものに変わった。できないことに挑戦する娘を、離れたところから「頑張れ」と見守る母親になれた。一緒に頑張ろう、必ず自分の力でできるようになると勇気づけられるようになった。もちろんそれは油断をすると容易に忘れてしまうことだけれど。

子は親の鏡であり、親は子の鏡である。私が母として娘に唯一してやれることは、私自身の人生をまっとうすることだと思う。子のために人生を犠牲にしてはいけない。強く美しく生きる勇気を、優しさを持って教えてゆきたいと思う。それが彼女の本当の自由と成長につながるのだと思う。

誰でもこの世に生を受けた限り、母と父が存在する。死別しても、虐待されても、それは切り離せない自分のルーツだ。それは時に帰る場所として安心を与え、時には超えなければならないものとしてハードに立ちはばかる。motherという言葉は、子どもを持つ女性に限らず、国籍や身分や性別を超えた全ての人間が共有できる普遍的な話題だ。私たちに血、生とは何かを問いかける。そしてその問いの共有を通じた人と人とのつながりは、固い。
私は、一見ヒューマニスティックで臭く捉えがちなこの特集を続行するdictionaryの姿勢を評価したい。開いた社会を子ども達に与えるために私たち大人はいつも、赤子のように開いた目を持っていなければならない。勇気と責任を持って、あきらめずに挑戦しなければならない。それは全てのクリエイターが立ち向かわねばならない問題だ。

このmother特集に触れる全ての大人達が立場の境界を超え、生きることの原点とは何か、この混沌とした複雑な社会の唯一の前進の手がかりであるその美しさと快楽について意識し、協調しあい、そして将来起こる何か新しい現象を支える軸の一つにつながるとしたら、それは素晴らしいことだと思う。(2002/04/10)
















(C) Copyright 2002, CLUBKING Co. All right reserved