case study20 「学ぶことは心に翼をもつこと。」
第4回 いじめ問題と教育基本法
 

「人のことを無視したりしないでください。無視は心のリンチです」――そんな叫びにも似た言葉が今も心に残っています。

先日、息子の通う中学校で緊急に行なわれた講演会「心と命の授業」に行ってきました。中2の父母会が主催する14歳の子どもたちとその親たちに向けての会でした。講演者は、15歳の娘さんを8年前にいじめによって亡くされたお母さん。今はNPO法人の理事として、子どもたちの幸せを守り、いじめのない社会を実現することに尽力されています。「死ぬほどの勇気があるのに、どうしてもっと強く生きることができなかったのだろう」そのお母さんも我が子を亡くすまではそう思っていたそうです。けれども、実際にいじめを受けると、心が深く傷ついて弱り、考える力、生きる力が失われてしまうのです。心理カウンセラーや心療内科にも通ったけれど、救うことはできなかったと言います。なぜ? どうして? と悩み抜いた後に見いだしたのは、我が子を語り継ぐことでこの社会からいじめをなくすこと、それによって、娘さんは人々の心に生き続けていくことができると信じての行動であったと思います。とても勇気のいることだと思います。その毅然と、そして緻密な講演内容に、なみなみならぬ精神力、そして聴く人に必ずや思いを届けたいという強い意志を感じました。
 教育基本法「改正」の理由として、中教審は「青少年が夢や目標を持ちにくくなり、規範意識や道徳心、自律心を低下させている。いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊などの深刻な問題が依然として存在しており、青少年による凶悪犯罪の増加も懸念されている」から、と説明します。つまり、いじめ問題を解決するためにも、教育改革が必要だ、だから教育基本法も「改正」する。そんな図式になっているけれど、本当にそうなのでしょうか? 「心と命の授業」のお話を聞いていると、一人一人が違っていい、一人一人が尊い、そのことを忘れなければ――もちろんそれは一朝一夕には実現しない、とても難しいことだとは思いますが、そんな世界でなら子どもたちは安心して自由に翼を広げることができるのではないかと思いました。

教育基本法の前文にはこうあります。「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」。「改正」案は、「我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する」とあります。「個人の尊厳」は「公共の精神」など、以下に続く徳目と並列化されています。広い意味で「ゆたかな文化の創造」をめざす教育は、「伝統を継承」する文化、「新しい」文化をめざす教育へと、縁取られていきます。
前回取り上げた第二条には「自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」とあって、お互いの意見の違いや考え方の違いを尊重しながら学ぶことを方針としているのに、「改正」案には、またしても「我が国と郷土を愛する」などの枠組みが課せられています。

「改正」案が目指しているのは、回りにあるさまざまなものは、我が国や郷土のもたらすものだと感じ、日本人ならこうするべき、こう考えるべきという、同じ方向を向いた人、そしてそこからはみ出すことは、法律をおかすことになりかねません。

先日、新聞記事に、いじめと取り組む教師たちの闘いとも言える行動が記されていました。いじめの兆候を見つけたらその日のうちに教師たちは全力を挙げて、ブレのない的確な行動をとる必要がある。10のいじめがあれば、10の対処法がある。「総合感冒薬」はないと言います。なのに、あらかじめ決められた枠組みや、上意下達の締め付けがあれば、教師は俊敏な行動はとれません。まずは教育基本法の精神をもう一度確認することから始めるべきなのではないでしょうか。

最近の本棚から

最近の本棚から。さまざまな研究と研究結果、知の結集。山崎正和氏の『アメリカ一極体制をどう受け入れるか』(中央公論社)の、実践的で合理的な思想は共感できる。だが、竹内氏の『いまなぜ教育基本法なのか』(桜井書店)で、山崎氏が「改正」案のベース作りをした「『21世紀日本の構想』懇談会」の一員と知った。なかなか面白い発見。だが、このあたりのことはまだまだ勉強不足だ。竹内氏の本は、研究会など熱心に参加している小学校の先生に勧められたもの。戦後の日本の教育法の流れが詳細に記されていて興味深い。梨木香歩の『水辺にて』(筑摩書房)を読むと、人もまた自然界の循環の中にいるのだと知る。今、このときに生を受けたものとして、この時代に生きる人の作法として、できることをできる限り行ないたいと再認識。

●この連載を読んでくれたkumikoさんからメッセージが届きました!

(前略)私自身、子供の教育や育つ環境について決して無関心ではなく、新聞記事やニュースにも関心をむけているつもりでいました。自宅では日経新聞一紙を購読しています。新聞は少なくとも二紙を読み比べないと、といいますが、あらためて今回その事を感じました。
今週の月曜日から日経は第一面をつかい、「ニッポンの教育」の連載を始めています。第一部「機能不全の実相」として今週は全5回「モラルの消えた学校」「学ばない症候群」「誰が責任者か」そして最終金曜日は「たちすくむ政治」でした。毎日、この連載記事を真剣に読み現在の教育現場の問題を憂いまた翌日の連載を待ち遠しく思っていた矢先に今回の「教育基本法改正案」の問題について聴きました。記事を読んでいく私にとって、現在の教育現場が大変な事になっているという実感を持ち「私学のわが子さえ良ければ」では決して無いと将来の社会に向けての焦燥感にかられていました。そしてコラムの隅々にある「現在の機関の限界」や「文科省を頂点とするピラミッド」の意味するものも考えました。
しかし、これが=教育基本法の改正に繋げるその意味はあるのでしょうか?
土曜休校の週5日制導入も臨教審で進め決定しました。こうして今までのように教育審議会等でその委員の選択を広げる事(質や経験)によって、まだまだ教育現場についての問題は検討できるはずです。
それを、なぜ?教育基本法の法律自体に手を加えなくてはいけないのか。
まだまだ勉強不足で、時間をみつけてはHPで勉強を始めた段階です。コメントもまだ稚拙で申訳ないと思っています。中学校の音楽教師になろうと思って勉強をしていた時期もありました。陳腐な言葉ですが、教育現場は夢や希望や自由や未来を忘れては成り立たないと思います。
今回の改正で、その広がり(翼)が狭いものになってしまうのが心配です。
また勉強して、ここにお喋りしに来ますね。Kumiko

ありがとうございました! これからもいっしょに勉強して考えていきましょう。教育基本法に取り組み始めて、この連載を始め、改めて、勉強する楽しさ、忘れていたなぁって思いました。ただ、私たち女性が持っているある種の嗅覚とかも忘れたくないって私は思っています。実は私は、新聞を何紙も読むことはないのでは?と、ジャーナリストにはあるまじき信念(?)を思っています。子育てしている母にとっては、そう思ってできないことがストレスになりかねないかな、って。読みたい小説やマンガもいっぱいあるし(笑)。どなたかが、新聞は選挙の投票と似ていると言っていたけど、その感覚で十分かもしれません。アンテナをはっていれば、情報はきっと入ってくるはずです。そのためにもおしゃべりしたり、率先して人とつながっていったり。そっちを大切にするのもいいかもしれません。おおくに
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