case study21「世界中のmothersのためのマザーによるトーク・ディクショナリー」
        ジョイセフ × motherメンバー
連載第2回 パキスタンの女性たち『ナビゲーション/マコ』
 

初めまして。マコです。最近同じ名前のネコの写真集を見つけて、密かに自分の分身と思ってマス。

ミッチが最後に書いてから随分、間をあけてしまいました。ごめんなさい。パキスタンの後すぐベトナムに出張していて遅くなってしまいました。

さて、ちょこっとだけ自己紹介です。ジョイセフに入ってから6年。その間、議員さん向けに情報提供のための勉強会を開いたり、ジョイセフと同じ目的で世界規模で活動している国際家族計画連盟(IPPF)の東京連絡事務所の役割をしたりと、わりと裏方の仕事をしておりました。

今回は、初めて国連人口基金(UNFPA)の親善大使をしている有森裕子さん(あの、元マラソンランナーの、バルセロナオリンピックで銀メダル取った方です!)のパキスタン視察に同行してきましたので、そこで出会った女性について何回かに分けてお話したいと思います。

パキスタンというと皆さんが思い浮かべられるのは、何でしょう?私が思い浮かべたのは核兵器でした。最近、自爆テロや政治不安によるデモなどでメディアを賑わせていましたが、とにかく何も知らないので、怖いイメージしかありませんでした。ということで、飛行機の上でもドキドキでした。

でも実際、飛行機を降り立ってみたところ、みんなとても親切でしたし、そこここで危険と隣り合わせということは、少なくとも私たちがいる間はありませんでした。ただ、一歩外に出ると、やはり様々な「差」に目が行きます。

まず、外を出歩いている人は、ほとんどが男性であるということ。女性が、1人で外に出歩くというようなことは滅多にありませんし、女性と男性が混在しているということもほとんどありません。女性と男性は、生活の基盤が別々の場所に設けられているのです。

また、常に40度台(!因みに私が経験したパキスタンでの最高気温は48度!!!)の気温の中でクーラーの利いた建物の中で過ごしている人もいれば、ただ熱く重い空気をかきまぜるだけの扇風機で我慢せざるを得ない人たちもいます。

首都のイスラマバードや、観光都市として有名なラホールでは、スカーフを頭から被っていない女性や半そでのシャルワカミューズ(伝統衣装)を着ている人たちもいましたが、農村地域では女性はほぼ必ず、スカーフを被り、長袖 で、カメラを向けるとそのスカーフで顔を隠してしまっていました。女性は、なるべく肌や身体の線、髪などを隠すことが礼儀とされているようです。(ただ、この衣装、「差」を感じさせるものだけでもなくて、50度も超えるような気候にはわりと理に適っているのです。ジリジリ焼けそうな太陽の下では長袖長ズボン、スカーフを頭から、という格好の方が暑さをしのげるし、だぶだぶの状態の方が、風が通って滝のような汗にも耐えられます。こんな中で私はとても洋服は着ていられませんでした。。。)

それに、都市部では堂々と英語で話す人にも多く会いましたが、村の方では、必ずといっていいほど、現地語であるウルドゥー語と英語の通訳が必要でした。

教育、経済、地域、男女。。。いろいろな差や区別、壁などがある中で、常に前を向いて一生懸命生きている、パキスタンの女性たちを紹介していきたいと思います。

と、ここまで書いたところですでに長くなってしまったので、続けて何回か投稿していきますので、宜しくお願いします〜

今日の写真は、シャルワカミューズを来た女性たち。極彩色!

<panda>
一番最初の海外旅行がパキスタンで極彩色や街の様子が懐かしいです。イスラーム圏なので厳しい規律も残っているのでしょうね。そんな中で美しく潔いブット元首相の活躍が憧れでした。
いろんな報告楽しみにしています。

<マコ>
pandaさん、一番最初の海外旅行がパキスタンって珍しいですね!私が行く前は、ガイドブックも2001年を最後にアップデートされたものがないほどだったので、なかなか行こうと思う人がいないのだなと思っていました。pandaさんの旅行記も是非聞かせてくださいね。

 

瓦礫のなかにたたずむひと、駆けつけるひと

みなさんは、約2年前のパキスタンでの地震を覚えていらっしゃいますでしょうか。今回、パキスタンに訪問した際には被災地にも訪れる機会がありました。パキスタン地震は、2005年の10月8日に発生したもので、外務省によれば被害は「死者約73,000人以上、負傷者約80,000人以上、被災民約330万人」にものぼったそうです。途方もない人数のかたが被災されましたが、この一人一人に家族があり、友人があり、生活があり、夢があったことを思うと、胸がつぶれそうでした。今もまだ多くの人々が家を失ったままで避難生活を続けています。

この女性の自宅は、地震で壊れてしまいました。彼女が立っているのは、家があったところです。現在は、この崩れた家の前にテントらしきものをはって、生活しています。その生活も、牛のミルクを売って生計をたてているとのこと。

今も、様々な国際機関やNGOがパキスタンで震災後の支援を続けているようでしたが、隅々まで充分行き届いているとは言いがたい状況でした。「緊急支援」というのは災害が起こってから数ヶ月くらいで引き上げられてしまうものがほとんどだと思います。でも実は、復興にはかなり長い時間がかかります。神戸の震災でも被災した人たちが家をみつけてプレハブの仮設住宅が完全になくなるまでも、数年かかっていました。

加えて復興には、人間が生きていく上での全ての事柄に支援が必要になります。住宅や水、食べ物、そのほかのライフラインだけではありません。女性はその間も妊娠し、出産します。また、毎月生理だってあるし、そのための生理用品も必要になります。そういったことへの支援は、結構、見落とされがちなのだと思います。でも、パキスタン地震の場合は、UNFPAが被災地に入った最初の機関だったそうで、見落とされがちな女性のニーズにいち早く対応したとのこと。例えば、女性ひとりひとりに、衛生キットを(スカーフ、石鹸、タオル、ガーゼ、など)配付。因みにこのキットには日本からの緊急支援が使われていて、大きな日の丸が入ったキットが21万個配られたと聞いています。また、病院が崩壊したり、元々なかったような場所への巡回医療サービスを提供。大きなバンにお医者さんを乗せて被災地をぐるぐる廻っています。

それから、プレハブの小さな小さなクリニックを造り、そこに女性の医師を派遣することもしています。パキスタンでは、女性は男性の医師に診てもらうことはできません。ですから、妊娠・出産に関しては、女性の産婦人科医でなければなりません。私たちが訪れたクリニックには、地震が起きた次の日から支援のために別の地域から駆けつけたという女性医師が休みなしで働いていました。2人でクリニックのすぐ横に建てられた住宅用プレハブに滞在し、24時間体制をとっているとのことでした。

休みなく、過酷な状況で働いているにも関わらず、笑顔がとても美しい2人の女性たちでした。上の写真のピンクと黄色のスカーフを被っているお二人です。顔は見えませんが、オレンジの服を着ているのは有森さん。

月並みですが、人を想い、使命感をもって頑張っている彼女たちのような人たちがいることに、少し希望が見えました。

<みほ>
震災というのは、どこに怒りをもっていっていいのかわからない、切ないものですね。日本でも中越はここのところ、大変ですが、なかなか私個人では援助できないものです。妊産婦も心配ですが、仕事柄やっぱりこどもたちが心配です。親を失ったり、負傷してしまったり・・・どこにいっても弱いものは損してしまいます。

<マコ>
みほさん、どうもありがとうございました。子どもたちもきっと傷を深く負ってしまっているのだろうな、と思います。私は神戸出身で、12年前の震災で友人を亡くしました。東京で地震にあう度に思い出してしまいます。
避難民キャンプにもよりました。子どもたちは、一見元気にしていましたが、今後どうなっていくのか心配です。
個人での支援は、寄付という形でも可能だと思いますが、「忘れない」 ということもひとつかな、と思っています。ナイーブかもしれませんが、誰かの心が自分とともにあると思えるだけで、前に進める気がするので。

<panda>
UNFPA(国連人口基金)の行動力ジョイセフはNGOパートナーとして繋がっているのですね。HPで知りました。確かに目の前の救済も大事ですが、女性そのものを配慮するのも大事ですね。「イツモ地震ノート」のような声って大事に残せたら。マコさんのお話は凄く沁みました。

<マコ>
pandaさん、ありがとうございました。そうなんです。ジョイセフはNGOとしてUNFPAと一緒に仕事をしています。国連は多くの場合、対政府で仕事をしています。政府は、ある特定の人への特別扱いはできないので、動きに時間がかかったりします。NGOはその点、小回りがきいたり市井の人々へのアプローチに長けていたりするので、お互い補完できるわけです。忘れられがちな女性への視点をずっと訴え続けていきたいと思います。

 
暴力のすえにあるもの

今回は、とても辛い経験をされたひとのお話です。パキスタンでは暴力がとても多いそうです。しかも、非常にシビアな形で出てくるようです。「名誉殺人」という言葉を聴いたことがある人もいらっしゃるかもしれません。名誉殺人というのは、女性が、「家族の名誉を汚した」という理由で殺されるということです。「名誉を汚した」行為というのは、例えば、親の決めた相手とではなく好きな男性と結婚したいといって駆け落ちするとか、不純な関係を結んだとか。私には、殺される理由としては到底理解できないものでした。でも、家族(主に男性)がこういった理由で名誉殺人を犯しても、ほとんどが逮捕されないどころか、社会はそれをむしろ容認しているようです。

私がイスラマバードの女性支援センターで出会った女性は、真っ黒のベールを頭からすっぽりかぶり、目の下もベールで覆い、そしてサングラスをかけていました。横には小さな男の子が寄り添っていました。彼女は、20歳代前半で結婚、3人の子を産みましたが、夫が働かず、暴力も振るわれていました。もう離婚するしかないと決心したものの、なかなか同意してもらえず、離婚のためにお金をせびられたそうです。必死にお金をかき集めても、まだ要求された金額をわたせずにいたところ、元夫が子どもに会いに訪れ、一晩とまっていった夜、事件はおきました。すでに寝入っていたところを、何かの液体をかけられ、焼けるような激痛に目を覚ましました。でも、真っ暗で何も見えず、自分の体が焼け爛れていることが、触ってやっと分かったそうです。彼女は、元夫から硫酸をかけられたのです。近所の人に助けを求め、病院で治療を受けましたが、今も彼女の右目は全く見えず、左目は影が動く程度なら分かるくらいでしかありません。最後にベールをはずして見せてくれましたが、両目はほとんど真っ白で、また耳も一部がとけてなくなっていました。鼻もつぶれ、首から胸、腕にかけて皮膚がただれていました。今も、硫酸が目に残っているそうで、まだ目が痛くてしょうがないと彼女は言っていました。そして、胸につきささった彼女の言葉は、「生き延びたけれど、いっそのこと殺してくれれば良かったのに」。。。

隣に寄り添っていた2番目の息子で12歳の男の子(12歳とは思えないほど小さかったです)が、彼女の手をひき、病院にいくにも買い物にいくにもついてきてくれると、唯一の救いのように彼女は語っていました。でも、彼の目は悲しみと怒りでいっぱい。いつか父に同じことを仕返ししてやりたい、と。

こんなひどい話ですが、少しだけ希望がもてたのは、彼女が「殺してくれれば・・・」と言いながらも、強い意志をもって生きようとしていたことでした。やはり子どもがいて、支えとなる人がいると強くなれるのでしょうか。

彼女たちの話を私は今でもどうとらえていいかわからないでいます。この話がされていたとき、私は通訳としてそこにいました。だから、悲しみや辛さで、言葉をつまらせるわけにはいかず、感情の弁を閉ざした状態で立っていました。でも、感じていたものはあったんだと思います。 それがずっと今も身体の中をぐるぐるしている感じがします。具体的に彼女のケースに対して、世界中で起こっている暴力に対して、どうすべきかはよく分からないけれど、できることは、自分の周りにある暴力の連鎖を断ち切ること、連鎖を起こさないこと。よく、「知る」 ことが重要、と言われます。知ったからってどうなるの?って思うこともあるのですが、知っていたら、彼女の思いに共感した瞬間を覚えていたら、自分や友だちが暴力を受けたり、逆に暴力(身体的だけじゃなく、言葉でも)を振るう側になったりしたときに、間違ってるって言ったり、思ったりするきっかけになると思うのです。日本でもDVがエスカレートして殺人に至ることがありますし、自分の身の回りで、できることもある。それから、暴力を撲滅しようと努力している人たちもいるということ知っておくこと。緊急支援ほど注目を浴びませんが、UNFPAやいくつもの現地NGOは地道に啓発活動を続け、暴力を受けた人たちの救出に力を尽くしています。そういったところに日本のODAが使われるのは、いいことだなと思います。

暴力が思いのたけをぶちまける手段にならないことを祈って。

<panda>
マコ様 大変辛い通訳の役目お疲れ様でした。パキスタンのみならず、「焼かれた花嫁」、「生きながら火に焼かれて」など信じられない現実があります。先の震災体験と同様、日本の私は何も出来ない現実。マコ様が言うとおり、知ることは大事です。こういった関係だけでなく、いろんな媒体伝達方法を使って、世界が目を向けなくてはいけない現実でしょう。彼女が生きて幸いなのは、すぐ傍に子供達が居てくれること、そしてマコ様が話を通訳して広めて下さったこと。

<マコ>
pandaさん、温かいお言葉をありがとうございました。日々小さなことで悩んでいたりしても、それとは比べ物にならないほど世界ではひどいことが本当にたくさん起こっているんですよね。自分ができることってほとんどないけれど、何かできるようになったときに、いろんな人の想いに共感できるよう、心のすみに留めておきたいなと思います。あとは、いつか何かで力を発揮できるように自分の能力をあげていきたいな、と。希望的観測ですが、でも、pandaさんの言葉でまたがんばろうと思いました。

<みほ>
身体的・言葉による暴力でおかしくなっていく人たちはほんとに多いですね。私も悩んだ末にぼろぼろになったお母さんたちをみています。信じられないことがたくさん世界中でおきていることをやっぱり知るべきですよね。当たり前にやっているその人たちも普通ではないですものね。なんだかきっと私がその場にいてもかける言葉もみつからないだろうな。その女性のこどもの未来にはそんなことがなくなってればいいですね。

<マコ>
そもそも、人生の歩みを途中で誰かに止められることの理由なんて、理解しようがないことなのかもしれません。安心して生きる権利は普遍的なもののはずですものね。外から押し付けるのではなく、人の権利が活かされるように積極的に国際的な政策の動きも見守っていけるといいですね。

 
パキスタンの月と星

さて、今まで辛い話ばかりでしたので、今回はパキスタンの希望の星について。パキスタン訪問では、いろんな施設を訪問しましたが、その中に「加藤シヅエセンター」というところにも行きました。お気づきの通り、加藤シヅエさんは日本の方です。アメリカのマーガレット・サンガーさんという家族計画を広めたひとに感銘を受け、日本でも運動を広めたパイオニア的存在の人です。炭鉱の劣悪な環境のなかで、出産せざるを得なくて、命を落としていった女性たちをどうにかして助けたい!と強い意志をもって、当局の圧力にも負けず、女性のために一生をかけた方でした(ジョイセフの会長さんもしていて、なんと104歳まで生きておられました。ご長寿!)。そして、彼女の活動に感銘を受けたパキスタンの女性が、加藤シヅエさんの名前を冠した女性のための施設を作りたい!と言って、パキスタンにいくつか作ったのが、この「加藤シヅエセンター」なのです。相田みつをさんが書いていました。人を動かすのは難しい理論ではなく、感動なんだな、と。まさにそんな感じの出来事ですよね。

いくつかあるセンターのうち訪れたひとつは、地震の被害が大きな地域にありました。でも、このセンターだけは、崩れずに残ったとのこと。日本政府の支援も入って建てられたものということで、かなり造りがしっかりしていたようです。ここでは、女性のための職業訓練(裁縫、手芸など)や作ったもののマーケティングなどをしています。私たちの訪問スケジュールが予想外に長引き、約束の時間を随分過ぎたのに、加藤センターで学んでいる女性たちは、ひたすら私たちを待っていてくれたのです。その心根にも感動しましたが、なんだかパァーッと目の前が開けるような感じを受けたのは、そのセンターの雰囲気がとても明るかったからでしょうか。それまで訪れた場所は、女性だけが集まっている場所でも、わりとしんと静まりかえっていたのです。でもここは、キラキラしているようでした。ザワザワしてうるさいわけではないのですが、そこにいる女性たちがとてもにこやかに作業をしていたのが印象的な空間。このセンターを運営している人たちも、とてもイキイキと仕事をしていました。

その中で、センターで裁縫を学び、今や人に教えるまでになった女性に話を聞かせてもらえました。彼女は、裕福な家に育ち、悠々自適に暮らしていたところ、突然の地震で両親と家をなくしてしまいました。家にも戻れないし、助けてくれる両親もいない。彼女と下の弟たち二人の避難生活で、途方にくれていたそうです。そんな時に、ある人(通りすがりのおばさんだったらしいです)が加藤センターのことを教えてくれて、もしかしたら何かあるかもしれない!という希望を胸に訪れたのが最初だったとのこと。そこでは、刺繍や裁縫を教えてくれるということだったので、弟たちを勉強させてやりたい、学校を出させてあげたい、と思っていた彼女は、刺繍を学んで商品を売って、生計を立てることを決心しました。彼女はメキメキと腕をあげ、とても良いものを作るまでに成長し、ひとり立ちしていきました。今では、加藤センターに自分の作った商品を卸しにきたり、今学んでいる女性たちに教えたりしています。そして彼女だけの力で弟たちを学校に通わせているそうです。

こちらが、その彼女です。

これは彼女のつくった、(たぶん)テーブルクロス。あの辺の地域独特の刺繍が全体に施されています。ちょっと恥ずかしがっちゃって下を向いているのでよく分かりませんが、ものすごく目に力がありました、彼女。ちょうど少女漫画に出てくるような目の中に星がキラキラしている感じです。彼女の目を見て、ああ、こういう人たちが国を背負っていくんだな、と実感しました。国を「率いて」いく人たちはごく一部かもしれません。でも国を背負うのは、市井に生きる人々であり、身近な人たちのために一生懸命働いている人たちだと思います。

生きることを大切にし、愛する家族を想う、たくさんの彼女たちが、隣の人に生きる力の種をまき、そしてその人がまた自分の隣の人に種をまく。そういう小さな変化の連鎖が、前に進む原動力になるのでは、と思 います。

パキスタン国旗の、三日月は進歩、星は光と知識を示すそうです。パキスタンの月と星が、人々に幸せをもたらしますように。
<みほ>
明るい未来につながるきっかけが、日本人の名のついた所だったってのがいいですね、また。もちろん立ち直ろう!と思ったことや、教えたくれた人との出会いもありますが。兄弟を養って彼女も技術を磨いて新しい道が開けてすごいです。大変なことはまたあるかもしれないけれど、きっと次の彼女は違うかもしれませんね。

<マコ>
みほさん、コメントありがとうございます!地球の向こう側にいる人とつながっている感じ、なんとなくいいですよね。彼女には、楽しい嬉しい人生が待ってるといいな、と思います。

 
 
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