case study22 西表島日記
第1回「出会い」
 

■第1回 西表島日記 
まったくの素人が、ゼロから映画づくりに挑んでみました。完成を間近に控え、その無謀な挑戦のコトの顛末をmother dictionaryで紹介させてもらい、完成した映画をmotherな皆さんにもぜひ、楽しんでもらいたいと思いました。一般劇場公開までは未だ時間があるので、しばし映画づくりの過程をお楽しみ下さい。子持ちになろうが、いくつになろうが、要はやる気の継続と素晴らしい人との出会いの連続で、無謀と思われる事も実現できるんだなあ、と、また改めて実感したわけです。

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■八重山との出会い
まさか映画の製作に携わることになろうとは思ってもみなかった。きっかけは、八重山の染織文化を紹介する『うちくい展』をfooで開催した事。fooでは限りなく不定期に、これはいい!?と直感的に感じたイベントや展覧会を開催している。

2003年にfooで行ったあるイベントにゲスト出演してくれた、NYのアートキュレーターの方が紹介してくれた大阪の小田令子さんは『うちくい展』の企画者で、東京に会場を探しに来ていた。「うちくい」とは八重山地方の方言で風呂敷の意。この展覧会は、『ぬぬぬパナパナ』という名称で現在も継続中なので、ぜひ詳細は<uchikui.com>にて見てほしい。この活動なくしては、今回の映画も存在し得なかった事になる。様々な縁あってfooで展覧会は開催される事になり、果たしてどんな作品が展示されるのかを見る為に西表島に飛んだのが2003年の冬。真冬の八重山で初めて石垣昭子さん始め多くの作家さんに出会う。石垣さんの西表島の工房でわずかな時をすごし、畑に生えている芭蕉の木から糸が紡がれ、庭や近くの山で自生する植物で染められ、島の豊穣な自然の色が蘇ったような、美しい一枚の布が織られるまでの一連の話を見、聞き、体験し、同じモノづくりに携わる人間として、目の覚めるような思いをしたのを今も鮮明に覚えている。

西表島には、私たちが失いつつある、大切な時間が流れていた。
生きていく為に本当に必要なものは何なのか?
作品には、美しい素材と色と共に、そんなメッセージも織り込まれている気がした。

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■監督・茂木綾子との出会い
これらの体験から、会場で最終成果品としての作品(布)を展示し見てもらうだけでなく、作品の背景にある島の人々の暮らしや思想も伝えたいと思った。現代の生活やシステムに対する疑問への問いかけも同時にしなければ意味がないと思った。その為には、映像という手段を取るのがよいのではないかと、おぼろげに考えた。これが、映画への第一歩となる。
そのときふと思い出したのは、以前P3 art and environmentの芹沢高志氏に誘われて観に行った『風にきく』という映画。初めて見るタイプの映像で、不思議と心に残っていた。激しい主張はせず、淡々と流れる時間、人々の日常の暮し。詩的な映像と個性的な音。
静かに、そして強烈に印象に残っていた。ああいう作品をつくれればいいな、と思った。

年明けの2004年1月7日に、芹沢氏に会う。まずは展覧会の相談。私は展覧会のことなどほぼ素人に等しいので、よく芹沢氏にあれこれ相談していた。『うちくい展』も例に漏れず。飲み初めてしばらく、いいかげんお酒も回ってきた頃に映像の件を切り出した。すると、なんと前述の『風にきく』の監督である茂木綾子氏が、染織と色をテーマにしたドキュメンタリー映画を撮りたいと芹沢氏に相談しているという。さらに、被写体は『うちくい展』出展者のひとり、石垣昭子氏の師匠である志村ふくみさんだという。ただ、ご高齢である志村さんに、映画製作に関わる時間はなく、断られたばかりで、思いあぐねているらしい!?また、芹沢氏は、東長寺の地下で活動をしていた頃、石垣夫妻と出会っており、現在も彼らの活動の一端をささやかながらサポートしており、彼らの存在はよく知っていると言う。なんだかいろんなことが繋がってきた!?

更に話を聞くと、彼女のスチール作品が三重で展覧会を予定しており、できれば東京でも開催したいと考えているとのこと。それなら、fooを使えばいい。映画の件も話してみるといい、と芹沢さんにアドバイスをもらい、茂木氏と初コンタクトを取る事になる。
メールで連絡とり、写真をいくつかみせてもらい、映画同様の静かで強烈な印象を受け、茂木写真の展覧会の開催を決定。同時に、『うちくい展』の話や、自分が撮りたい映像、島の色の話等をし、なかなか意気投合する。歳も一緒。海外で暮らした経験も共通、考え方にも共感する点が多く、話はトントン拍子に決まり、彼女の来日(彼女はドイツ在住だった)に合わせて個展を開き、個展開催中に、一緒に西表島の石垣昭子さんを訪ねる事にした。『うちくい展』開催用の映像製作は断念せざろうえなかったが、それでも、映像に残すべき未来が西表島にはあると信じていたので、2004年夏、西表行きを決行した

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■西表島で共有したもの
一緒に旅立った八重山列島では、石垣島の作家さんを数名訪ねた後に、西表島に入った。茂木の意識を圧倒的に捉えたのはやはり西表島と石垣昭子さんだった。私は仕事の都合で短い滞在だったが、茂木は滞在予定を延ばし、西表島に数日滞在。なにか、互いに確信のようなものを得た旅だった。翌年、もう一度西表島を一緒に訪ね、その旅で、石垣さんに被写体は絞り込み、そのかわり、西表島の自然や伝統文化、そこに漂う色、人々の暮らし、環境、生態系など様々なレイヤーを持つドキュメンタリー映像詩の構想を得る。この2度目の旅で、二人の決意は決まり、映画を一緒につくろう!という無謀な旅立ちと相成った。

その後は紆余曲折、茂木と私を巡り合わせた芹沢氏を拝み倒し、プロデューサーとして参加を依頼。映画評論などでも活躍する松丸亜希子氏の協力も得る。この二人、ならびに茂木の夫であり優れた映画監督、撮影監督でもあるヴェルナー・ペンツェル氏に、今回の映画製作に積極的に関与してもらうため、とある助成金を獲得し、2006年春、5人で西表島への旅を決行する。茂木とわたしにとっては3回目の西表島だ。   
島での濃厚な時間は、言葉の通じないヴェルナーを説得するに十分な密度を持ち、久しぶりに西表を訪問した芹沢氏と、初めて西表を訪れた松丸氏の心を動かし、本格的に映画製作に乗り出す契機となった。

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ここまで、亀の歩みで3年・・・。この間私にできたことはとても少ない。「撮りたい、残したい!」という思いを途切れなく持続させた事と、茂木の才能を信じ続けた事くらいかもしれない。でも、映画の構想は盛り上がり、文化庁、国際交流基金の助成も決定し、多くの寄付、協賛にも支えられている。そして1年後の今、すでに撮影はクランクアップ。今は最後の仕上でスイスにいる茂木が編集作業におわれている。まだまだこれからが正念場だとは思うけれど、この映画に対する思いは人一倍だし、今後の自分の人生になんと大きな影響を与える事か。自分が創る建築も、おそらく大きく影響を受けるに違いない。
 
地球という惑星の表面をただよう薄い大気の膜の内側に、多種多様な生物と共に生息する私たち。人が人として生活する為に最低限必要な物、事、行為。
日本を始め、世界各国の人々にこの映像を届け、茂木綾子のフィルターを通した、亜熱帯に浮かぶ小さな島からの、静かな問いかけに心を傾けてもらいたい。
この映画製作を契機に、島の現実と自分自身の生活を見つめなおし、巨大都市東京に棲み続ける自分が作り出す造形物のあり方をじっくりと考えたい。

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映画の初公開は2009年の春を予定。それまは、完成までの様々な出来事を数回に分けてお届けしますので、どうぞお楽しみに。
映画のHPはこちら
 photo by ayako mogi 
 
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